講師 岩下春江

1968年長野県生まれ 長野県育ち

全日本ピアノ指導者協会(ピティナ)指導会員

信州大学大学院修了(音楽教育)

中学校、高等学校音楽専修免許、小学校二種教員免許取得

草月流四級師範取得

長野県公立小学校、公立中学校で6年間音楽専科として勤務

 

NHK文化センターで山口道子先生より声楽のグループレッスンを4年間受ける。

・川口市消防局で普通救命講習修了 AEDの使い方を学ぶ。

バスティン夏季特別講習ベーシックス修了。

音楽の経歴

4歳ころよりピアノを習う。保育園の先生に「リズム感がいい」と言われた。

小学生時代は合唱団所属。中学校時代は吹奏楽部。フルートとピッコロ担当。高校時代も吹奏楽部で今度はホルンを経験。初めて「ド」を吹いて「ファ」が鳴る楽器を経験して混乱する。

大学時代は混声合唱団。関屋晋氏の指揮で歌うことを経験。同時に、ママさんコーラスの指揮者も経験。地区の音楽会等に参加。

公立中学校の音楽専科として3年間勤務。机やいすが飛び交うなど授業が成立しないことを経験。吹奏楽部の顧問としてコンクールや演奏会に参加。スコアの読み方を覚える。

公立小学校の音楽専科では、好きな創造的な音楽の授業をたくさんおこなった。毎年の音楽会ではクラスごとの合奏の曲を子ども達が演奏しやすいように、何曲も編曲。合唱団顧問では、「オペレッタ」を指導。ここでもママさんコーラスの指導をし、校内の音楽会、地区の音楽会等に参加。

 

◆ピアノの経歴◆

4歳ころよりピアノを習うも上達しないことに不満を持ちながら習い続けた。 母から「<エリーゼのために>が弾けたら辞めていいよ」と言われたが、弾けなかったので続けることに。そして、「いかにしたらピアノがうまくなるか」 「音楽を楽しめるか」を追求し続け、 信州大学大学院(音楽教育)に行きつく。

 

◆小学校まで◆

音楽の授業は好きだけれど、「もっと面白い音楽があるはず」という不思議な確信を持っていた。 伴奏者に選ばれたいのに、選ばれず、悔しい思いをしていた。 合唱団に所属し、NHK合唱コンクールにも出場。(「びっくりしゃっくり」を歌った世代) 4年生で入部するも、ほぼ一年間は「サボリ部員」。のち、熱血部員となる。

 

◆中学校時代◆

ピアノを習っている子だけが、音楽の授業に有利というのはおかしい、と感じていた。 吹奏楽部に所属。なぜか最初にピッコロになり、担当の先生が変わってフルートと持ち替えることになる。バンドジャーナルが愛読書。 という熱心さは、2年生以降。1年生時は、またもや「サボリ部員」であった。

 

◆高校時代◆

再び、吹奏楽部に所属。自信のなさで、「フルートをやりたい…」と言えず、ホルン。初めて「ド」を吹いても「ド」が鳴らない楽器に出会う。(ホルンはF管なので、ドを吹くとファが鳴ります。)教育実習生をいじめたのもこの頃。

 

◆進路を決定するとき◆

音楽を学びたい気持ちは決まっていたけれど、どういう大学に進めば良いか分からず、国立大学を2校と私立大学を2校受験する。 確かだったのは、ピアノ科は無理だという事。 ピアノの技術がないのは分かっていたし、それよりも、4年間ピアノだけに向き合うのは自分の性格上合っていないと感じた。 結果、広く音楽を学ぶ事ができる「教育学部」を受験することにした。 受験がとても楽しかった。友達もできたりして、それまでで一番自信を持って生きていた時期かもしれない。

 

◆大学時代◆

混声合唱団に所属。 常に50人以上団員がいる大所帯で、定期演奏会では関屋晋先生の指揮で演奏する事ができた。 次第に、「大勢の中の一人」より、「ソロで歌いたい」という気持ちが強くなった。 その気持ちのせいで、団に迷惑をかけ始めたため、途中で退団。 アルバイトでママさんコーラスの指揮者も経験。 アルバイトと言えば、家庭教師を3年間。母の強い希望で草月流四級師範の免状を取得。このころより、声楽の個人レッスンを受け、結婚するまで約10年間続ける。毎年発表会に参加し、オペラアリアの数々を歌った。

 

◆オルフとの出会い◆

大学3年で花井清先生に師事。 花井先生からカール・オルフを教えて頂き、筑波大学付属小学校で行われていた初等音楽教育学会の講習会に参加するようになる。 筑波大学付属小学校の研究発表会も何度となく参加した。 「いかに音楽を楽しめるか」の答えを見つけたと思った。 「音楽をつくる」ことが多く取り上げられていた時代で、その楽しさ、奥深さに虜になる。

 

◆中学校教員時代◆

初任地は、長野県の公立中学校。3年間勤務した。 音楽専科のほかに、国語の免許があったため国語も教えることになる。 吹奏楽部顧問。 指導方法、選曲、楽器店との付き合い、金銭の問題など、悩みが尽きなかった。2年目、県大会出場。

音楽の授業が成立せず、机や椅子が飛びかう事も経験した。 生徒たちは、音楽が嫌い、もしくは、面白くないのではないか、という恐れを常に感じていた。 「オペラ・ピアノクラブ」を1年間任される。 クラブ員は男子5,6名女子4名。 文化祭で一人一人が生き生きと発表する姿を見て、校長先生からおほめの言葉を頂く。

 

◆小学校教員時代◆

2校目は、同じ長野県で今度は公立小学校。3年間勤務。 こちらは、音楽専科のほかに小学校免許があったので、家庭科も教えることになる。 毎年の音楽会では、半分以上の曲を編曲し、提供した。 「パチカクラブ」を1年間担当。 マラカとも呼ばれるが、その頃流行った。いろいろな技を子ども達とビデオを見ながら研究。

 

◆オルフ研修ツアー◆

小学校教員時代に、ザルツブルグのオルフ研究所の研修ツアー(1997年)に行くことができた。長野県は夏休みが短いので、年休を取り、10日間の研修に参加。毎日汗だくで身体を使って表現していた。この時の経験は何物にも代え難く、忘れられない。

 

◆子育て◆

ベビーベッドから2回落ちた伝説を持つ娘。今まで接した子どもの中で、我が子の事が一番分からないとつくづく思う。小学校時代は、連絡帳で分からないことを質問し過ぎて、毎年担任から呆れられていた。逆ギレされたこともある。娘が先生から嫌われていないか、常に気になっていた。娘から頼まれたことをよく忘れる。母として、足りない部分が非常に多いと自覚している。

 

 

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